1月17日 日本酒王国・土佐のみち(高知県)

朝日新聞2019年1月12日be6面:酒文化を愛する文人の系譜 酒よ、なあ酒よ。分かってくれるのはお前だけだなあ。心の中でつぶやき、ぐいと飲み干す。そんな夜は杯を重ねて深酒になる。ぐでぐで、べろべろ、どろどろ・・。翌朝、頭が痛い。自己嫌悪に陥っても後の祭りである。だが、ここでは「そんなこと、関係ないぜよ」と言わんばかりに、老いも若きも、男も女も昼からぐびぐび飲んでいる。高知市堺町にある老舗酒場「葉牡丹」である。「町工場や魚河岸で働く労働者、競輪場帰りの客が昔は多かった。土佐の人は酔うほどに声が大きくなるんよ」とマスターの吉本豊さん(71)は言う。「やるゆうかよ」「こじゃんと飲みや~」
カウンターに座っていた私に杯が差し出された。飲み干し、相手はそれを返すのが高知では礼儀。相手はそれを飲み干しまた差し出す。「いつまで続くのか・・」なんて心配はヤボ。つぶれそうになったら正直に告白すればいい。「土佐の酒は淡麗辛口がウリ。飲み飽きない大量消費型です。土佐へ渡った広島杜氏の技術が始まりだそうです」そう話すのは高知県仁淀川町(旧仁淀村)出身のイラストレーターで俳人の吉田類さん(69)である。人呼んで「酒場詩人」。2003年9月から始まった「吉田類の酒場放浪記」(BSーTBS)は全国の酒徒から圧倒的な人気を集めており、訪ねた酒場の数はまもなく900店になる。「僕の家では芋焼酎を密造していた。役人の目が届きにくい田舎では珍しいことではなかった」。祭りではお神酒は大人も子どもも口にする神聖なものだったという。「結婚式では、2昼夜にわたる酒宴を催すことも珍しくなかった。酔うほどに胸襟を開く土地柄なんです」
吉田さんは、高知市生まれで「酒仙」と呼ばれた文士・大町桂月を先達と慕う。酒と旅を愛し、中国の詩人・陶淵明や李白などの境地を理想とした桂月。「『酒は、精神的なもの也』と作品に記しています」と高知県立文学館の川島禎子(42)。桂月の門人が、怪異物で知られ「十五から杯を持つことを覚えた」という作家の田中貢太郎。その門人の井伏鱒二は文壇でも横綱級の酒豪だった。
脈々と続く酒飲みの系譜。『禁酒宣言』という作品まであるのが私小説家の上林暁。豪快な飲みっぷりでしられたのが、直木賞作家の坂東眞砂子や漫画家はらたいら。作家の宮尾登美子も郷士の酒文化や作家仲間たとの酒席の雰囲気を愛した。
「宴席ともなれば、目上の人や敬意を払うべき人に杯を献じます。『献杯』というんです」と川島学芸員。酒器の形も独特。指で押さえていないと穴から酒が漏れてしまうものや、天狗の鼻のような長い突起がついたものもある。「『可杯』と呼ばれる酒器です。飲み干さないと下に置くことはできません」 奈良時代には、現在の仁淀川の水を使って祭神に捧げる酒を造っていたという高知。平均気温は高く、年間日照時間も長い。お酒をめぐるおおらかな県民性は自然環境によるものだろう。あの有名な古典文学にもにぎやかな宴席の様子が描かれていた。
風流と酔いのカオス楽しむ 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてとするなり」。なじみ深い書き出しで始まる『土佐日記』(『土左日記』とも)である。作者は『古今和歌集』の選者であり、土佐の国司として赴任した平安時代の歌人・紀貫之。任を終えて、934(承平4)年12月21日に国府にあった館(現在の高知県南国市)を出立。翌年2月16日、京の自宅に到着するまでの2カ月近い旅日記を書き残した。地元の人に相当慕われていたのだろう。連日の送別会。どんちゃん騒ぎの様子が生き生きと描かれている。
「上、中、下、酔ひ飽きて、いとあやしく」とは、「上、中、下の身分の差なく、なんな酔っ払って」という意味。この2日後は「童まで酔ひ痴れて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ」とある。現代語に直せば「子どもまでもが寄っ払らって、一という文字すら知らない者が(千鳥足になって)足で十という文字を描いて遊んでいる」となる。
国府からはすぐに離れられなかった。酔いにまかせて歌を詠み合い、音楽の催しみたいなこともしたのだろう。日記には在任中、娘を失ったとある。地元の人たちは慰めようとしたのかもしれない。船に乗り込んだのは12月27日。だが近くの港で下りてしまった。陸地沿いに追ってきた人たちと酒を飲んで別れを惜しむという始末である。当時の旅は、水難事故や海賊を恐れながらの大旅行だ。なので送別の宴はにぎやかになるのが当然だったのかもしれない。風流と酔いのカオスが混在する土佐流送別会。室戸岬あたりを出発したのは翌年の1月21日だったという。
「世知辛い現代とは違って、酔いつぶれるまでたくさん飲ませるというのが最高の接待だという価値観があったのではないでしょうか」。そう語るのは、FM高知の人気番組「吉田類の類語録」でパーソナリティーを務める谷本美尋さん(51)だ。長山卓司プロデューサー(53)も「いまも結婚披露宴には多いときには300人はきますね。新郎新婦の顔は真っ赤っかですよ。ラテン的な明るいノリは私たちのDNAに受け継がれていると思います」という。話を伺いながら高知には「いごっそう」という言葉があるのを思い出した。「頑固者」「意地っ張り」との意味である。北に険しい四国山地、南には太平洋が広がり、一種孤高の雰囲気を漂わせている自然環境も、土佐人の気質を育んだものかもしれない。ここは、京から遠く離れた「流人の国」でもあった。
歴史をひもとく。戦国時代に土佐から四国統一をめざした長宗我部元親は禁酒令を発したのに、自ら破ったという。箸を使ったバクチが転じて、負けた方に酒を飲ませる風習が江戸末期に広まった。さて私は、土佐湾に面した県東部の奈半利町に着いた。『土佐日記』での難所のひとつ、室戸岬にも近い。貫之はここにも滞在した。実はこの町はスナックが多い。『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』(白水社)によると、市区町村ごとの人口1千人あたりの軒数は、奈半利町(人口約3200)が6.21で全国5位だ。1位は京都市東山区(9.03)、2位名古屋市中区(8.18)、3位大阪市中央区(8.16)、4位同市北区(6.50)である。2016年春の調査だが、いまもスナックは20軒以上はあるという。「奈半利川の上流域に森林地帯を抱え、古くから貯木場や製材所がある。海側には大型船が停泊できる港もある。飲み屋文化が栄えた理由は経済的要因が大きい」。同書を編集したスナック研究会代表の谷口功一・首都大学東京教授(法哲学)はそう語る。太平洋の大海原が見える。「ここまで来たからには飲まないかんぜよ」。青空の向こうから竜馬に言われているような気がしてきた。さあ、今夜もどこかへ繰り出そう。 文・小泉信一 写真・井手さゆり

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