1月16日てんでんこ 奥尻から【13】

朝日新聞2018年1月11日3面:人生終わった。海から戻った漁師は泣いた。両親は流され、借金だけが残った。 「また今度来ます」「本当にありがとう」。丸っこい文字の小女たちの手紙と写真を、北海道奥尻町米岡の民宿経営、林清治(68)は大切に持っている。ここ数年、修学旅行で泊まった道内の中学生が送ってきた。
不登校などで心に傷を抱えた女子生徒たちだった。予定になかったが、イカ釣り船(11トン)で海に連れ出したこともある。「つらいことがあっても、どこへでも行けるんだよ」「この海は世界につながっているんだよ」。話しかけると、生徒の一人が歌い出したんだ。「海は広いな、大きいな・・」25年前のあの夜、林はこの船で沖に出ていた。ドドッ。体が突然、突き上げられた。故障を疑い、エンジンを切った。周りの船も同じで、いさり火が一斉に消えた。その時、島で上がった火の手にきづいた。「津波だぞ」漂流物に遮られ、陸地へ近づけない。明け方、ようやく集落跡が見えた。自宅も民宿も倉庫もない。涙があふれた。両親は死んだ。
弟と、イカを対岸の北海道側に陸揚げし、札幌市に持ち込む商売が軌道に乗りかけたところだった。前年買った船の借金3千万だけが残った。「人生、終わった」と思った。ところが、思わぬことが起きる。全国から膨大な支援物資が届いたのだ。衣類、食料ごちゃ混ぜの段ボールが5千トン。町出派さばけず、札幌市で仕分けして運んだ。輸送料だけで1億円。そして義援金が続々と届いた。
自分らは孤立していない。初めて思った。弟と相談し、自宅や民宿を再建した。漁にも出た。船の仲間5人は妻子を亡くして引退したり復興作業員に転じたりして1人になったが、めげなかった。いろんなものをみた。復興ブームで建築費が高騰し、多くが借金をして家を再建した。高齢者は結局待ちきれず、手放していった。林は被害の大きい青苗遺族会の初代会長を引き受けた。慰霊行事に出てこない遺族は「本当は出たいんだけど、再婚相手に言われるんです。『まだ忘れられないのか』って」と打ち明けた。町の地震から20年を最後に慰霊行事をやめた。仕方のない現実がある。
昨年、船を手放した。民宿経営もいずれやめる。その後は高校生の下宿か、お年寄りのグループホームか。世の中に恩返しするつもりでいる。(伊藤智章)

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