1月16日 平成とは 台湾「5」

朝日新聞2019年1月10日夕刊8面:司馬遼太郎の案内人 李登輝の東南アジア歴訪を追った1994年春、日本への岐路に台北で寄った。ホテル「国宴大飯店」での待ち合わせのためだ。蔡焜燦。白い眉毛がぴんと立っていた。台湾の外交官から「日本と台湾の関係を熟知している」と紹介された人物だ。日本統治時代に奈良航空教育隊で学んだ元少年飛行兵。IT企業や流通会社のおーなーで、総統の李登輝ときわめて近しかった。週刊朝日に連載された司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」で司馬の案内人「老台北」と紹介され、何度も搭乗していた。「台湾人の細やかな気持ちや、日本統治時代の実態を正しく載せてくれて感謝している」。四川料理を食べながら、初対面の私に語った。 蔡はビジネスや観光で頻繁に来日した。定宿の帝国ホテルで毎回のように会った。日本統治時代に日本人から差別されたこと、大陸から国民党がやってきて「台湾語」を禁じたことー。歴史や文化を丁寧に教えてくれた。
週刊朝日が李と司馬の対談を掲載し、李が「国民党政権は外来政権」「私は22歳まで日本人」などと台湾人としての思いを語ったことにも感激していた。蔡は、中国も台湾もない「漢民族」の文化や伝統を誇りつつ、「大陸で独裁を続ける共産党は大嫌い。台湾は独立すべきだ」と会うたびに言っていた。私は95年に香港支局に赴任した。当時は台北に支局がなく、香港から定期的に足を運んで「蔡学校」の授業を受けた。翌年、北京に移動した。台湾や、まだ英国領だった香港と比べて厳しい規制があり、取材は容易ではなかった。
蔡との電話で中国での取材の難しさを愚痴ったことがある。「独立派」の蔡だったが、母校の後輩で共産党による建国に加わった要人の連絡先を教えてくれた。この要人は「先輩の商会は断れない」と会ってくれた。不思議な地下水脈だと驚いた。そんな人物が、ほかにもいた。(藤原秀人)

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