9月7日「ちい散歩」の道

朝日新聞2018年9月1日be6面:どんな街も魅力的に見せた 駅に、コインロッカーはなかった。仕方がない。1泊分の荷物とパソコンを詰めこんだキャリーバッグを引きずりながら目的地に向かう。千葉県匝瑳市のJR八日市場駅。
匝瑳? 「そうさ」と読む。2006年、八日市場市と野栄町が合併して新市名になった。俳優地井武男さん(1942~2012)が、冠番組「ちい散歩」でたびたび訪れたことにより、読み方を知った人も多いはずだ。
本当は地井さんのように、小さなカバン一つで腕を大きく振りながら、さっそうと歩きたかった。ゴロゴロゴロ。耳障りな音を立てながら、本町通り商店街にたどり着く。おかしい。人通りがない。シャッターを下ろした店も目に付く。テレビではもっとにぎわっていた気が・・。そうだった。どんな街も魅力的に見せてしまうのが、あの番組の地井さんマジックだった。この商店街の一角にあった青果問屋で、地井さんは生まれ育った。姉6人、兄1人の8人きょうだいの末っ子。輸入した青いバナナを黄色く熟成させてから販売する商売で成功した父は、市議会議員を務める地元の名士だった。青果問屋跡地に面した路地には、「ちい散歩」で必ず立ち寄った甘味処「うれし野」がある。地井さんがうまそうにほおばった名物「じまん焼き」を焼きながら、店主の佐々木福太郎さん(77)が「地井さんところは大きな屋敷でね。ベーゴマをするのもメンコをするのも、地井さんちの敷地だった」とふり返る。「学校帰りに武男ちゃんちに寄るのが楽しみだった。高級品だったバナナがおやつに出てくるんだから」と話すのは、番組に幼なじみとして出演した石川博計さん(77)だ。義理堅い地井さんは、東京の自宅用のテレビも石川さんが営む電器店で購入した。
地井さんの里帰りは、いつも夏に放送された。八重垣神社祇園祭が開かれ、普段は静かな商店街を約20基のみこしが練り歩く。番組開始前から地井さんは祭りの常連で、芸能人仲間を連れてきた。匝瑳市商工会長の鶴野航三さん(73)は匝瑳高校軟式テニス部の後輩で、「地元のマネジャー役」。「『おれにできることがあれば何でも言ってくれ』が口癖。お祭りでも講演会でも結婚式でも、都合がつく限り来てくれました」八日市場の人々は、そんな芸能人らしからぬふるまいを、当たり前のことのように話す。そして口をそろえる。「ちい散歩」で市井の人々と自然にふれあった姿こそ、普段通りの地井さんだったと。だが、あまのじゃくな記者は少し疑ってしまう。俳優ってウソをつくのが商売じゃなかったけ?
 俳優としての代表作は? 「地井武男の代表作を一つ選べ」。そう言われると迷う。「太陽にほえろ!」のスッポンのトシさんや、「北の国から」の中畑のおじさんは印象深くても、地井さんのドラマだったとは言いがたい。なぜ俳優に? 生前の地井さんはそう問われるたび、小学校6年間、学芸会で主役を演じ続けた経験について語った。「それで舞台の喜び、人に喜んでもらう気持ちよさを自然に覚えたんですね」(2010年8月9日、本紙「人生の贈りもの」)千葉県銚子市で暮らす紫村信枝さん(80)は地井家の6女。その話からは、末弟が「花咲かじいさん」た「青い鳥」の主役に選ばれたのは、姉たちの後押しが大きかったことがうかがえる。
「私たちにとって武男は、かまわずにいられないペットみたいな存在でした。学芸会でも、衣装を寝ずに作って着せたり、本を買ってきてセリフの練習をさせたり」中学、高校時時代は父がコーチを務める軟式テニス部で活躍。卒業後は進学せず、家業手伝いを経て、20歳のときに俳優座養成所に入所した。
「武男なら何とかなる」。厳しい父も反対しなかった。小野武彦、栗原小巻、高橋長英、夏八木勲、林隆三、原田芳雄、前田吟、村井国夫・・。地井さんと同じ1963年、養成所に入った同期の名だ。花の15期生と呼ばれた。小野武彦さん(76)は入所した年の夏休み、高橋長英さん(75)、夏八木勲(故人)とともに、地井さんの実家の青果問屋で、泊まり込みのアルバイトをした。地井さんの部屋には赤木圭一郎のポスターが飾られていた。
「僕も石原裕次郎さんのファン。互いに演劇より映画にあこがれて養成所に入ったことがわかり、『おまえもそうだったのか』と意気投合した」2人とも養成所の3年間で演劇のおもしろさを知った。地井さんは卒業後、劇団・自由劇場の創立に参加した。匝瑳市で葬儀場を営む荒井淳一さん(76)は地井さんと高校で同じクラス。東京・六本木の地下にあった小劇場の舞台に招かれたことがある。「好きな女子を連れてきてくれって頼まれたんだよ。いいとこ見せたかったんだろうけど、難しい芝居だった」70年代以降、地井さんは映画、やがてテレビに軸足を移す。その活躍は、故郷の人々にもわかりやすかった。
2006年4月、テレビ朝日で「ちい散歩」は始まった。朝と昼のワイドショーの隙間を埋める時間帯の通販とセットの関東ローカル番組。ところが、これが化けた。視聴率は右肩上がりで、BSでも放送されて知名度は全国区に。散歩ブームの火付け役といわれ、10年には放送文化に貢献した番組に贈られる橋田賞を受賞した。
「ちい散歩」のプロデューサー兼総合演出を務めたテレビ朝日映像の岡崎利貞さん(52)は、実は新しいことに挑戦した番組だったと語る。それまでの紀行番組では、タレントの表情を撮るため、カメラは先回りしたり並走したりするのが常識だった。ところが、「ちい散歩」では基本的に地井さんを背中から追いかけた。地井さんがスタッフに話かける場面も、従来ならあり得ない演出だった。「テレビである以上、出演者と一緒に大勢のスタッフが動いている。それをいないこといするようなウソはやめようと、地井さんと話し合って決めたんです」
ブランコ大好きで、お年寄りの話に涙ぐむ。画面ににじみ出た人柄の良さも、素のままだったと岡崎さんは言う。「ちい散歩」以降は、スケジュール上からドラマの出演依頼を断ることも。俳優としては複雑だった気もするが、小野武彦さんは、地井さんは散歩人の役割に手応えを感じていたはずだと推測する。「自己表現するために、ドラマなどで役を演じる以外のやり方もあると考えていたのでは。根が勤勉な人だから、相当な努力もしたと思う」今回の取材で、ひとりだけ、地井さんは散歩人を演じていたと話す人がいた。所属事務所のサイプロダクションの平田満社長(62)だ。「最初の頃は本当に下手でした。徐々に無邪気な少年を演じられるようになったんです」12年1月に緊急入院し、心不全と公表後も、復帰を期待されて番組は傑作選でつなぎながら5月まで続いた。翌6月29日に死去、70歳だった。代表作は「ちい散歩」。迷う必要などなかった。(坂本哲史)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る